おるたのすゝめ

ゲームやアニメ、その他のことも雑食に

好きなことをどれだけ好きと言えるか

どうも、てふおるたです。

冬も真っ盛りでいよいよ寒さも本番となっていますが寒さ対策はしっかりできていますか?私の住んでいるところはとりわけ寒暖差が激しく、現在手足が凍る思いで生活しています。

最近の近況としては右手人差し指の爪が割れたことですかね。最初は欠ける程度だったんですけど、マフラーに引っ掛け風呂上がりのタオルに引っ掛けで気づけばはがれる一歩手前まで……。今は厳重に絆創膏を巻いて治るのを待っています……治るよね??

 

と、今回は冒頭に信者について書きたいと思います。信者と言っても宗教的な意味ではなく、いわゆる熱狂的なファンを指すそれのことについて言っております。

 

アニメオタクな私にとって身近なのはやはり作品の信者です。どこからどこまでが信者化と定義するのは難しいですが、私が挙げるとするならばラブライブアイマスけもフレなどなど。特にけもフレなんかは信者が多いんじゃないでしょうか。あのストーリーに自作感あふれるキャラに惹かれた方も少なくはないでしょう。

否定的な意見を述べるわけではないですが、私はけもフレを全話視聴したうえで、けもフレは特別面白いアニメだとは感じませんでした。それでもけもフレが流行していた時は存分にネタとして生活に取り入れたので何とも意地汚いですよね(笑)

ただ信者ははたから見るとただただ痛い奴に成り下がってしまうのも事実です。これはアニメ信者関わらず他の何かに打ち込んでいる人にも当てはまります。私もやっていることで例を挙げるのならばFGOのメンテ祭りとか。メンテナンスが来るたびに周回のコラ画像をはっていかにもメンテを自分は受け入れ楽しんでもいるとアピったりするのとか客観的に見ても正直痛すぎます。

後はキャラ愛とかも。推しキャラの画像はって毎日「かわいい……好き……」とかツイートしてるの見ると自分まで恥ずかしくなってきます。

でもこれって全部ブーメランなんですよね。なんたって私もツイッターでそういうことをしているのですから。自分のことを柿ピー半欠片分かも恥ずかしいとか痛いとか思っちゃうと誰かからもそう思われているのではないかと感じてしまうんです。結局その反動が他人の行動に向いてるだけなんです。

 

で。

 

結局この思考の落としどころって、やっぱり自分で自分の行動とかキャラへの愛を誇り続けることにあると思います。それが当たり前と言われればおしまいなのですが、純粋にそれを続けるのってとてつもなく難しいと思います。私も実際そうなので。でも勇気をもらいました、citrusという漫画からです。

百合漫画です。主人公の柚子と妹の芽衣が付き合っていて、柚子の昔の友人から心無い一言を言われ傷ついているときに芽衣が柚子に伝えた言葉。

 

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まさにこれです。てかもう趣味とかじゃなくて恋愛をしている時点で土俵がはるかに違う気もしますが……。

「したいことをしているだけ」

いつか私も芽衣みたいに考えて人生を歩んでいきたいものです( 一一)

 

(おわり)